アルアル

三日坊主、坊主が三日間も経たないうちに何かを習慣づけることをやめる話かと思いきや、坊主という職業(修行)がきつすぎて3日でやめることが由来となってるらしい。

ブログが続かないのはブログを書くことがきついんじゃなくて怠惰が原因なんですけどね。

初潮以降、自然と自分の生活に一ヶ月ごとの区切りができるようになってから、人の感情とか気持ちは結局分泌されるセロトニンやらに大きく左右されること、そして自分の意思でそのようなホルモンの分泌がコントロールできないことをここ数年認識するようになったり、単純に空間的な環境が無意識的に自分のやる気を削ぎ落とすことを自覚したりし始めてから、いちいち自分の感情の源を探るようになっている。

で、結局自分の行動を邪魔してくる存在って怠惰であるなあとこの頃よく実感して、でなんなんだこの怠惰ってやつはと怠惰の定義とか源が気になってちょっと調べてみたところ、Bertrand Russel という20世紀のイギリスの哲学者の怠惰への讃歌という文章にいきついた。

In Praise of Idleness By Bertrand Russell

書かれた1932年当時でさえすでに技術の発展により人間は4時間労働で全員が食べていけるし生きていけるという認識があったのにも関わらず、相変わらず少なくとも日本では過労死がまだまだ騒がれているのはとても滑稽であるし、 belief in the virtuousness of workを批判しているが、それなんて未だにしっかりと日本社会に根付いている考えなように思える。

ただ当時は地主たちが自分たちが楽しようと労働の賛美の倫理を労働者に押し付けていたのに対し、現代ではだいぶ状況が違ってきているだろう。アラブの石油王ともなれば同じ論理で(労働組合の力は確実に幅を利かせているとはいえ)今も労働者が長時間働かざるを得なくなっているかもしれないが、日本では富裕層でさえ過剰に働いている人たちが多いように思う。根拠はないけど。結局は色々なものが生産されて選択肢も増え、人々の欲望に歯止めが効かなくなっていることが原因の一つなのかなと思う。

また、当時はまだまだ労働といえば肉体労働のみであっただろうが、今や経済活動の8割近くは第三次産業、いわゆるcreativityが必要とされる労働であって、本当に楽しいからこそ仕事に従事している人たちも一定数いるだろう。

 I am never so happy as when the morning comes and I can return to the toil from which my contentment springs.' I have never heard working men say this sort of thing. 

少なくとも自分もバイトをしていたときは相当楽しく働いていたのでやりがい(というとまたvirtuousness of workの倫理が気づかない間に自分の中にも根付いていたのかなとか思ったりするが)を感じていた。

あと、単純にこの事実にびっくりした。

 In England, in the early nineteenth century, fifteen hours was the ordinary day's work for a man;

まじかイギリス人。

 

 

この文章を読んでも自分の宿題のやる気のなさの原因に対する納得するような結論はでなかったけど、文書は面白かったし、今のこの学生って時間なんてずっと余暇でしかないのだから、仕事みたいに義務感に押されて宿題をすること自体あほらしい、やりたくなったときにやるべしですね。