日記
内省的なお話を。
ここ数日、自分がいままでになく空っぽな存在だと思う。
資源はあるのに、したいことがない。
このままベッドで寝たまま、怠惰に飲まれて、屍同然な日々を送る様子が容易に想像できる。
そのようなイメージに対して、恐怖さえも抱かない。
好きなものを飾ってみる。
そうか私は幾何学が好きなのか。
そういえばカンディンスキーの画集が欲しいんだった。
近くの古本屋さんは営業再開したのだろうか。
明日行こうかな。
大葉と三つ葉の新芽が生えてきた。
かわいいのだけど、新芽生えたてほやほやのときほど、成長に希望が感じられない。
タネを蒔いたときには、この中のいくつが発芽するかと毎日、仕事に飽きるたびに確認していたのに。
Subtleな変化に気づくのが苦手だ。洞察力がないとも言う。というより集中力がないんだな。
ってまた自分に対して批判的になってしまう。
最近意味を学んだSubtleをついつい使ってみたくなる。思っていることただ垂れ流すくらいなら英語を書く練習をしたほうがいいのにね。
まあいいのだいいのだ。
Donald Gloverのコメディをみてひとしきり笑った後に、
Childish Gambinoを聴いてみる。同じ人だとは到底思えない。
どうしてChildish Gambinoとしては半裸であることが多いのだろう。
どちらも好きだけど、どちらもすぐに飽きてしまう。
思うにアメリカのコメディアンは、下ネタ系・自分のエスニシティ/アイデンティティを逆手にとる系・モノマネ系・日常をおもしろおかしくする系・政治/世間をおもしろおかしくする系・カオス系に分けられるきがする。
といってもぱっと思いつくコメディアンは20人いるかくらいの、サンプルなんて大してない自分が思っているので、参考にはならないきもする。
モノマネはどうしてあんなにも面白いんだろう。
自分のツボとしては、ありえそうで絶対ありえないようなことがおきたり、描写されると、腹を抱えて笑う傾向にあるきがする。
モノマネは元のモデルの特徴をうまく捉えて、それがすこーしだけど誇張されると、とても面白く感じる(とされる)ことが多いと思っているのだけど、そこには何が加われているのだろう。自分では気づけなかったモノマネ対象の癖?
あまりにも暇と不安を持て余して、久しぶりにたらたら書いてみたけど、いつかみなきゃと思っていたReggie Wattsの動画が見れたのでとても満足している。
明日は古本屋にもよって見よう。空いてなかったらネットで買おう。
明日以降のことを考えるのは限界を感じる。
おとといのことはもはや時空から消えた存在として記憶にすら残っていない。